飼い主:ub680さん(30代・男性)
ペット:ぽてと(キンクマハムスター♀)
飼育期間:1年半
ペットロス期間:4ヶ月
目次
ペットとの出会いと、一緒に過ごしたかけがえのない時間について教えてください。
普段行くホームセンターのペットコーナーで半年を越え値下げになっているのを見つけたのがぽてととの出会いでした。
寝床からお尻がはみ出た状態で寝息を立てており、お迎え準備の為ケージから出されても寝ぼけ眼で辺りを見回すそのマイペースぶりに店員さんが「見た目も性格も大物です」と太鼓判。
それからは怪我も病気もせず先住の熱帯魚や小鳥達と共に暮らし、2歳ちょうどになった時に老衰で旅立ちました。
ぽてとの最期の日々はほとんど寝たきりで、食事も柔らかくふやかしたフードに変えて手をかけていました。
ぽてとが亡くなる少し前に起こったことは忘れられません。
お尻を拭こうと私の膝に乗せたとき、ヨロヨロと立ち上がり、私に向かって少しだけ歩いたのです。
その一歩一歩には、弱々しい体からの最後の力がこもっていて、それはまるで、ぽてとからの最後の挨拶のようでした。
ペットを亡くしたとき、どのような感情が湧き上がりましたか?
ごめんよ。まず何よりその一言が頭の中で幾度も浮かびました。
というのも、ぽてとが寝たきりで介助を必要とする時に私が急性胃腸炎で入院してしまったからです。
検査の結果幸い非感染性で1日程度の経過観察入院で帰宅できたのですが、帰宅して呼びかけた時ぽてちゃんは弱々しくもいつも通りに少し顔を上げて「おかえり」の意思を示してくれました。
そして数日後に最期をキチンと看取ることができた時、ぽてがいつも傍に寄り添っていてくれたように自分も傍に居られたという嬉しさと、安堵の気持ちもありました。
悲しみと向き合い、乗り越える過程で特に役立ったことは何ですか?
他の趣味で10数年程自宅の庭先で家庭菜園をやっているのですが、育てる作物に小松菜や芽キャベツといった飼っている子達も食べられる物もありました…そもそも一部の種類はその為に育て始めたのですが。
それらを収穫して食べる時には、ぽてとをはじめ歴代の子達を思い出す事があります。
また収穫できた時は、あの子達がおやつとして食べていた時のように茹でたり刻んだりして遺影の前に供えてあげます。
生前は好物でも食べ過ぎないようちょっとだけでしたが、もう太らないだろうから途中でお預けされる心配ないよと気持ち多めに。
ペットロスの経験を通じて、あなた自身について何を学びましたか?
表面上ではペットロスから立ち直っていると思っていても、スマホの写真を目にした時などふとした拍子に皆で過ごした様々な出来事が脳裏に浮かんで気付けば涙が出る時もある。
その度に自分はこんなにもこの子に依存していたんだなと弱さを思い知る。
これまで何度も飼っている子を見送っているが、だからといって慣れるという事は無い。
辛い思いも含めて忘れずに、残された自分は1日1日少しずつでも立ち止まりながらでも前へと進むのがぽてと達への恩返しでもあるという思いを抱くようになった。
現在、ペットを亡くして悩んでいる読者に向けて、励ましのメッセージをお願いします
旅立ってしまった子を想い、悩み、悲しみ、苦しむ事は悪い事ではありません。
その子が自分にとってどれだけ大切な存在だったかの証なのですから。
同じくらい嬉しかったり楽しかったりした事もある筈です。
それら全てが揃ってこそ旅立った子があなたと共に生きた証でもあります。
今はまだ辛くて泣いていても良いんです。
虹の向こう側であなたの姿を見た子が
「ああ僕は私はこんなにも愛されていたんだ、短い時間だったかもしれないけれどあなたと出会えて過ごせて良かった。ありがとう」
きっとそう思ってくれている事でしょう。
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